ロスチャイルド家とノミのコレクション(2)
2010-08-13


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 アルジェリアの平穏な港町オランに、突然ペストの脅威が襲い、医師ベルナール・リウーらは外部から遮断されたこの都市の中で、悪疫の圧倒的な力と戦うことになりました。

 アルベール・カミュの小説「ペスト」(1947年)の話です。
 響き渡る死の足音のなか、医師は事件を記録し 、せめて思い出だけでも残しておくためです。
 カミュの小説では、ネズミがペストをばらまく病気の根源のように書いていますが、人に感染させたのは、むろん、そのネズミに寄生したノミのほうです。ネズミの血を吸ってペストを感染したノミが、また人の血を吸うので、ペストを食い止めたければ、ネズミを駆除しなければ、という理屈にはなります。

 明治29年(1896年)、台湾で発生したペストの研究に、帝国大学医学大学教授の緒方正規と山極勝三郎は現地に向かいました。ペストは元々ネズミの仲間の病気であり、その伝染に一役を買っているのがノミである、という卓説を提唱しました。
 のちにヨーロッパでも実験的に証明されましたが、それでもなお数年の間は疑問視されました。古くから人間の周りにいて、ある意味では親しまれてきたノミが、あの恐ろしいペスト菌を媒介することは、いかに信じられなかったかを示す話です。
 それでも日本ではいち早く実地で応用されました。ペストの発生地では、ネズミの駆除を奨励するために政府がネズミの買い上げを行ったり、ネコを飼うように通達を出したりしました。そのおかげか、大規模の流行にはならなかったようです。
 東京渋谷区祥雲寺にある鼠塚([URL])は、明治33年〜34年に東京で最初のペスト患者が発生したとき、政府の買い上げで犠牲になったネズミたちの霊を弔うものです。

 その2年後の明治36年(1903年)、あのロスチャイルド家のナサニエル・チャールズが日本を訪れました。
 ロスチャイルド家の人が日本を訪れたのはこのときが最初でした。珍しい動物、昆虫、草花を収集するためにやってきたそうですが、あるいはノミも気になっていたかも知れません。
 日本の地方への旅行は大いに歓待され、「日本は天国だよ。親がとやかく言わなければ、ここに住みたいぐらいだ」、と友人宛の手紙に書いたそうです。

 実は、ペストを媒介するケオプスネズミノミは、チャールズが命名したものです。人類の歴史を幾たびも大きく変えたペストの元凶、実はそれまでは名無しの新種だったわけです。
 チャールズには8人の子供がいましたが、その第一子のミリアム・ルイザも、ノミについて約五十万におよぶ論文を発表してきた、有名なノミの女性研究者です。

 ネズミノミではなく、「蚤もいとにくし」と清少納言に言わせた、古来から人間にたかるのはヒトノミです。
 なにがおかしいかと言えば、寄生されたほうの人間がよほどおかしくて、なんとも珍妙なことを考え出します。にくいと言いながら、ヒトノミにいろいろな芸をさせる「ノミのサーカス」なる見せ物を考え出すのですから。
 それも話によれば、ルイ14世も見物したというから、ずいぶんと長い歴史を持っています。

 木製の槍も持たせて行進させたり、2匹のノミに馬具をつけて黄金の四輪車を引かせたり、紙製のスカートに閉じこめ、オルゴールの音に合わせてダンスさせたり、意外にも演目はバラエティに富んでいたそうです。
 なかでも一番人気があるのがフットボールで、座長の「ゴー」のかけ声に応じて、仁丹粒ほどの小さなボールをはじきとばすものでした。( 人語をノミが理解したわけではなく、掛け声とともに出た二酸化炭素にノミが反応しただけ、だそうですが)

 日本にもノミのサーカスがやってきました。

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