ふたたび借金先生の錬金術を想う
2011-05-03


4月の前半でしたが、黒澤明監督の「八月の狂詩曲」と「まあだだよ」が「日本映画専門チャンネル」で放送されていて、二週続けて見てしまいました。

 二作品とも黒澤監督最晩年の作品で、洗練されたアクションはすでに影を潜め、「影武者」や「乱」の豪華絢爛さもなくなりましたが、良い意味で枯れたように感じました。
 特に内田百閧フ随筆を原案にした「まあだだよ」は、興行的には失敗だったかも知れませんが、馬鹿鍋のシーンなどは穏やかにして軽やか、飄々とした百關謳カにぴったりな仕上がりでした。


 前にも書きました(<[URL]>)が、百關謳カは借金をまつわる話が多いです。

 最近読んだ「錬金術」なる短文では、次のように書いています:

 「夏じゅうは団扇を使うのと、汗を拭くのとで、両手がふさがっていたから、原稿が書けなかった。それで見る見る内に身辺が不如意になり、御用聞や集金人の顔がささくれ立って来た。」
 「仕事をする時候ではないけれど、お金はいるので、錬金術を行う事にした。原稿料の前借りをしたり、印税の先払いをして貰ったりした。しかしそうして心を千千に砕いて見ても、矢っ張り足りない。」
 「いくら錬ってもおんなじ事である。」

 また、「無恒債者無恒心」という随筆で、以下のような、わかるようなわからないような論理を展開しています:

 「小生の収入は、月給と借金によりて成立する。二者の内、月給は上述のごとく小生を苦しめ、借金は月給のために苦しめられている小生を救ってくれるのである。」
 「学校が月給と云うものを出さなかったら、どんなに愉快に育英のことに従事することが出来るだろう。そうして、お金のいる時は、一切これを借金によって弁ずるとしたら、こんな愉快な生活はないのである。」
 「小生、今こうして週刊朝日の需めに応じ文を草す。脱稿すれば稿料を貰う。その金を手にした後のいろいろの気苦労、方方への差しさわり、内証にもして置けず、原稿料が入ったらと云うので借りたのは返さねばならず、月給の足りなかった穴うめ、質屋の利子、その他筆録を憚るものあり、到底足りないのは、今からわかりきっているのである。原稿料を受け取ると同時に、それ等の不足、不義理、或いはあて外れが、みんあ一時に現実になって小生を苦しめる。」


 映画の「摩阿陀会」は、なかなか死にそうにない百關謳カに生徒たちが「まあだかい」と訊ね、百關謳カが「まあだだよ!」と応える会だそうです。
 以上の名調子だけ見れば、そうそう容易くくたばる先生ではなかったと思います。
[読書・本]

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