2011-04-22
ダニエル・ハーディング(Daniel Harding)は言いました。
「この体験を忘れない、決して忘れてはいけない。」
3月11日の夜、交通も麻痺し、すみだトリフォニー・ホールはほとんど空席だったそうですが、「一人だけのためであっても、そしてこの場にいられない全ての人のためにも・・・指揮をする準備はできていた。」と後に語ったように、NJPのミュージックパートナーであるハーディングはタクトを振り、新日本フィルハーモニー交響楽団はマーラーの5番を演奏しました。
この気迫の演奏は、聞きたかったような気がします。
グスタブ・マーラーのCDを初めて買ったのは1992年、社会人になったばかりの年でした。(1番と5番と大地の歌などをまとめて)
会社の寮に入っていて、部屋にはまだテレビを置いてなかったせいか、あれほど音楽をたくさん聞いた時期は、僕の人生にはほかにないと思います。
同時期に聞き始めたチャイコフスキー、ホルスト、ムソルグスキーのように、メロディを歌ってくれません。なんだか混沌として、何度聞いても好きになれませんでした。しかし、何度も繰り返し、一番たくさん聞いたのも間違いないです。
手元にある、インゴ・メッツマッハーの「新しい音を恐れるな 〜現代音楽、複数の肖像」(小山田豊 訳、春秋社)には以下のような文章が載っています:
「マーラーの交響曲をはじめて振ったのは、ウィーンでのことだった。交響曲第五番。荘重な葬送行進曲で始まり、やがて浄化された回想へと変わる。第二楽章は激しい爆発と、抑えがたい怒り。大きくうねるスケルツォは、あつかいが難しい。アダージェットは有名な愛の歌。そしてフィナーレの狂騒は果てしなく続く。」
「いまでもよく覚えている。けっして完璧ではなかった。形の整わない箇所もあった。途中で『まずい、空中分解するぞ』と何度も思った。ぼくはすっかり力を使い果たしていた。それでも、演奏は成功だった。何度も崩壊寸前までいったのがとかったのだ。」
「マーラーの音楽には、全身全霊を捧げるしかない。でなかったら、かならず何かが欠けてしまう。距離をおき、傍観するなんて許されない。マーラーの音楽はぼくたちを引きずり込み、知覚と感覚のすべてを要求する。」
そうなのかも知れません。
3月の新日本フィルハーモニーのマーラーはその後中止し、11日の一夜限りとなりました。
しかし、6月に代替公演を行うことがこのたび決定しました。やはりマーラーNo.5を演奏するようです。
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