平安京の雨、江戸の風呂
2011-08-22


8月の前半は、雨もほとんど降らず、灼けるような暑さでした。それが一転してここ数日、扇風機も要らないほどに涼しくなり、実に過ごしやすいです。なかなか止まない雨だけは不便ですが、そこまでの贅沢は言えないでしょう。

 これは本で読んだ話ですが、白河法皇が「国是一切経」を金泥で写させたものが完成したとき、法勝寺で供養することになりました。ところが雨が続き、法皇臨幸されるはずの式典が再三延期になり、今度こそはの四度目もまた雨に降られると、法皇が大いに怒り、雨水を器に収め、牢屋に入れたそうです。
 禁固刑よりも、ムチ打ちの刑に処したらどうかと思いましたが、いや、これは荻野由之という明治の史学者が、平安貴族がいかに雨を畏れていたかを論じた随筆です。鎌倉の武家が雨のなかでも平気なのを見て、公卿日記のなかでいかにも不思議そうに書き留めたそうです。


 さて、涼しさのおかげで供電事情は当分余裕があるそうですが、省電力のための輪番休日は、だからと言って急に変えられません。
 雨が降りそうでなかなか降らない鉛色の空を見ながら、なんだかバッティングセンターへ行くのも面倒くさくなり、だらだらとしながら、「近代デスタルライブラリー」で式亭三馬の「浮世風呂」を適当に読んでいます。
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 「そうさ、花を活けるとか、琴を弾くとかは、世帯持ちにはできないよ。炊事洗濯の家事や、近所付き合いをして、無駄な出費がないように節約したり、主婦はやることがたくさん。それで文句を言われたら、とてもやってられませんね。」

 「千代紙だの色紙だの切り刻んでは散らかし、おもちゃ絵を買い込んでは、箱いっぱいにためこんで、私はびっくりしましたよ。三番目の子は、絵入り小説が好きで新刊が出るたびに買い込み、これがツヅラいっぱい。ヤレ誰の絵がすてきだの、ヤレ誰の方がうまいのと、画工の名まで覚えて、それはそれは今の子供たちは達者でございますよ」
 「そうですねぇ。私どもの幼少な時分は、ネズミの嫁入りや昔話の絵本が楽しみでしたが。」

 意訳ですが、江戸の時代の主婦の愚痴や会話は、こうして見ても、意外に古くさく感じません。
 「いまの子供たちは」とか、「私どもの幼少な時は」とか、世間のお母さん方もよく口にするセリフではありませんか?
[読書・本]

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