【メモ】ロンシャン競馬場の落成
2011-08-17


「19世紀フランス 光と闇の空間 〜挿絵入り新聞『イリュストラシオン』にたどる」(小倉孝誠、人文書院)を、いま読んでいます。

 ブローニュの森に、1900メートルと2800メートルの2つのコース、パドック、五千人を収容できる観覧席、ビュッフェ等が整備されたロンシャン競馬場が落成したのは1857年4月26日です。パリの都市改造などに尽力したことによりその名を歴史に残したジョルジュ・オスマンは、その日のことを、「私の知事在職中もっとも幸せだった一日」だと、その「回想録」に記しました。

 1857年5月の「イリュストラシオン」も、2ページにわたる大きな図版を掲載し、競馬場の完成を報告しました:
 「城壁内で古い界隈が取り壊され、大規模な公共事業と美化作業が行われ、パリは世界でも無比の首都になったが、この現代のバビロンには何かが欠けていた。競馬場が欠けていたのだ。......」
 「今やパリは、この点でもっとも恵まれているイギリスの町と比べても何ら遜色ない。魔法のように広大で幻想的な公園に変貌したあの森の向こう側、城壁跡からほど遠くないところに、大きな競馬場ができたのである。それは有名ニューマーケットやエプソムにも匹敵しうるほどだ。」
 ニューマーケットやエプソムの名前を挙げるほど、競馬の先進国イギリスをライバル視しているようです。


 パリ郊外にはすでに1833年にシャンティー競馬場が作られていましたが、市街から60キロも離れているため、フランスの馬種改良促進協会はずっと市中心部に近い土地を物色していました。
 ジョルジュ・オスマン知事の大工事により、広い空き地となったロンシャン修道院の跡地が、まさにそのぴったりの空間となったわけです。

 ちなみに、障害レース用のオートイユ競馬場が森の東側にできたのは、さらに15年後です。
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