コックピットのなかの木彫り
2009-10-07


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 コックピットと言えば、日本語ではもっぱら航空機、ヨットなどの操縦室を指しますが、"Cockpit"は、本来「闘鶏場」を意味する言葉です。

 上の写真は、ウィリアム・ホガース(William Hogarth)による、タイトルもずばり「The Cockpit」という版画です。絵からもわかる通り、この闘鶏場には相撲の土俵のような丸いステージが作られ、観戦する多くの人が囲み、二羽の雄鶏はどちらが一方が倒されるまで戦わされたものでした。

 イギリスでは紀元前から、オールド・イングリッシュゲームというスタイルで闘鶏が行われていた説がありますが、手元の「賭けとイギリス人」(ちくま新書、小林章夫)によると、イギリスではじめて"Cockpit"を作らせたのはヘンリー8世でした。また、闘鶏にことのほか熱を入れたジェームス1世は、「コック・マスター」という職を作り、鶏の飼育・訓練にあたらせた、ともあります。
 17世紀のピューリタン全盛期に一旦下火になりましたが、18世紀になると再び支持を集め、貴族も商人も金持ちも職人も、あらゆる階層の人が熱中した賭け遊びとなったそうです。

 イギリスに限らず、闘鶏は意外と世界の様々な地方で見られる文化のひとつです。
 元々鶏はアジア原産の野鶏(東南アジアもしくはインド)が家畜となったもので、漢民族は六千五百年以上も前から飼っていましたが、ペルシアを経由してギリシャに入り、そこから徐々にヨーロッパに広がっていたのは今から三千年前だと、これも手元にある、「英国大使の博物誌」(朝日新聞社、平原毅)に記載されています。
 現在、世界中で闘鶏が最も盛んなのはフィリピンなど東南アジアの国々であるようです。


 日本の闘鶏の歴史もだいぶ古く、平安時代には「鶏合わせ」という名で闘鶏がおこなわれていたようです。中国になると、その歴史がさらに長く、「木鶏」の話は、古典の「荘子」にも「列子」にもにも出ています。

 紀〓子為王養鬥〓。十日兒問「〓已乎?」曰:「未也,方〓驕而恃氣。」
 十日又問。曰「未也.猶應嚮景。」
 十日又問。曰「幾矣,〓雖有鳴者,已无変矣。」
 望之似木〓矣。其コ全矣,異〓無敢應者,反走矣。

 周の宣王は闘鶏を好み、紀〓子という名人に鶏を訓練させました。十日して、もうよいかと尋ねると、まだまだと答えます。その鶏は驕り高ぶり、気を恃むところがあるからです。
 また十日してから、もうよいかと尋ねると、やはりまだだと答えが返ってきました。相手を疾み視て気を盛んにするからだと説明します。
 さらに十日経って、どうだろうかと尋ねたところ、今度こそよいでしょうと紀〓子がようやくゴーサインを出します。曰く、相手の鶏が声をたてても、この鶏は少しも動ずることがありませんから、とのことでした。
 宣王がその鶏を視ると、まるで木で彫られた鶏のように、何の表情の感情も表さない姿になっていたそうです。


 「双葉散る!双葉散る! 旭日昇天まさに69連勝、70連勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭安藝ノ海の左外掛けに散る! 時に、昭和14年1月15日、双葉山70連勝ならず!まさに七十、古来やはり稀なり!」
 こうNHK・和田アナが名調子を残したのは、昭和14年1月場所の4日目です。双葉山の連勝を止めた安藝ノ海は一躍時の人となり、部屋へ戻るにも多くの相撲ファンにもみくちゃされ、故郷へは「オカアサンカツタ」の電文を打ったそうです。

 一方、いまだ破られていない69連勝の大記録を残した名横綱・双葉山は、連勝が止まったその夜、神戸の中谷さん、四国の竹葉さんほか応援者たちに、やはり電報を打ちました。
 文面が、「イマダ モッケイ タリエズ フタバ」というものでした。

 モッケイ、とは、むろん「木鶏」です。
 いまだ「木鶏」の境地に及ばない、と古典を引いて横綱が嘆いたのでした。
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