兄弟の絆、その重み
2008-09-16


イギリスの生化学者、J.B.S.ホールデーンは他人のために我が身の危険も顧みない、そんな人だったそうです。彼がインドでの隠遁生活の終わり頃、あるインタビューで、兄弟のためなら死ねるか、という質問に対して「ノー」と答えて、インタビュアを驚かせたそうです。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」


 花うさぎさんのところ([URL])で、「(レスリングの伊調姉妹について)普通の姉妹ってあんなに美しい愛情で結ばれているものなのだろうか。ただただ驚くばかりである。」とあったのが、その後の話も含めて、ちょっと引っかかって気になりました。

 たまたま「曽我兄弟」の話を読んでいますが、血が水より濃く、と近松は嘯くものの、ここにも結局は骨肉の争いが出てきます。
 身内とは何か、兄弟姉妹、その血のつながりの重みはいかほどのものでしょうか?


 そこで、ライアル・ワトソン博士の著書に引用されたホールデーンの話を、ふっと思い出しました。
 この話はよほどワトソン博士に深い印象を与えたのでしょうが、複数の著作に取り上げられています。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」
 いたって単純な計算です。
 兄弟ならその遺伝子の約半分は自分と同じもので、いとこの場合は約八分の一が共通です。
 自分の勇敢な犠牲によって、兄弟が三人助けられれば、この取引は確実に黒字になり、生き残る自分が50%多くなるわけです。

 墨家の「兼愛」とかは、お話にならないのであります。

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