宋徽宗の桃鳩図から動物の攻撃本能説、パーソナリティ
2006-10-07


宣和堂さまのブログ([URL])で、宋徽宗の関連書を掲載しています。
 おもしろそうなのがいくつかありますが、僕が読んだことがあるのは渋澤龍彦のドラゴニア奇譚集だけです。

 「桃鳩図について」では、絵に入った徽宗と道士よりも、絵の永遠に嵌めようとする鳥の話のほうが、僕には興味深いです。従容として死地へ行くカラフルな鸚鵡たちの行列、勝手に想像するだけでもギョッとしてしまいます。

 大林辰蔵の「宇宙に夢中」のなかで、スカンジナビアのレミングというネズミの話も読んだことがあります。その地域の食べ物である草が不足になって、ネズミたちがどのような行動を取るかを観察していた研究者たちは、結局、ネズミたちの集団自殺を目撃したそうです。
 性質からして、ほかの小動物をエサにすることはないだろうと見た研究グループは、ネズミたちの共食いを予想していましたが、その予想はみごとに外れ、ネズミたちはなんと集団で海のなかに飛び込んでいたそうです。

 有名なデスモンド・モリスは、動物には本来攻撃本能があり、人間の戦争を含めた紛争も、そのような生物学的な宿命に基づく、というような学説を発表していました。
 レミングの取った行動は、この学説に真っ向から反しているように思えます。

 ライアル・ワトソン博士の著作でよく紹介されている話の1つが、シロアリの巨大な蟻塚です。シロアリが1匹だけではなにもしないが、大きな群になると建設を始め、やがて複雑な構造を持つ巨大な建造物を作ってしまいます。
 アリやシロアリやハチはきわめて社会性が強く、数十平方キロメートルに広がった、2000千万個の口を持った生命体として考えたほうがわかりやすい、とワトソン博士は言います。
 1つの生命体で考えると、とても攻撃本能説なぞが成り立つ余地がないです。

 思うに、サル、ネコや人間などは、独自のパーソナリティを獲得した代わりに、社会(群)内の関係が疎遠になってしまいました。個体を守るばかりで、群に害を与えてもためらいがなくなり、それが本能のように見えたりします。
 ひとりの人間の体内の器官・細胞は、超感覚的な連携を取っているアリたちのようにうまく合同作業しますが、代わりに、群のほかの個体とのコミュニケーションがどんどんできなくなってしまいました。

 その結果、無関心もしくは紛争が起きたり、現実社会で生きるよりも絵の中の金殿玉楼に身を隠したくなったりするのかも知れません。
[読書・本]

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