2014-12-30
「三四郎」のなか、主人公がお金を借りに行ったとき、夏目漱石はヒロインの美禰子にこう語らせています。
「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」
まったく文豪の言うことがいちいち正しいです。
秋の空よりも難しいのは馬の心、いつ穴を開けるかは、神のみぞ知る世界であります。
そのゆえか、夏目漱石は馬や競馬に対して特別な関心を持っていません。少なくとも、そのような痕跡はありません。
「ぜんぶ馬の話」(文春文庫、木下順二)という文庫本が手元にありますが、作者が岩波書店刊行の夏目漱石の全集を調べた結果、漱石が馬に言及した箇所は249箇所を数え、その全箇所をあたってみた結果、一般の人が馬に対して持った以上、あるいは以外のイメージを持っていた、とは言い難い、との結論を下しています。
一箇所を除いて、です。
その一箇所とは、「日記及断片」のなかの4ページ半に渡って、英国における馬の歴史を、英書から忠実に、もちろん英文で写し取った部分です。
サラブレッドの三大始祖と言われている、ダーレーアラビアン(Darley Arabian)、バイアリーターク(Byerley Turk)、ゴドルフィンアラビアン(Godolphin Arabian)の3頭の種牡馬の名前も、名馬のエピソードを織り込んだ競馬の歴史も、しっかりと英文で記されているそうです。
「馬の歴史」と題して、細かく写したこのメモは、その前跡をほとんど「我輩は猫である」に関する順不同のメモたちに囲まれています。
漱石は「猫」のなかに、馬もしくは競馬に関する話を入れ込もうとしたかも知れません。
そして、なんらかの理由によって、その構想をボツにしたのかも知れません。
漱石が英国に留学した際の日記に、以下の記載があります。
「頗ル賑カナリ吾住む所はEpsom街道ニテ茲ニ男女馬車ヲ駆け喇叭ヲ吹テ通ルコト夥シ、近所ノ貧民共又往来ニ充満ス」
Epsom競馬場は、英国ダービーも開催される有名な競馬場で、「夏目漱石とロンドンを歩く」の著者・出口保夫によれば、この日はたぶんエプソム・ダウンで競馬が行われた日だったのです。競馬の開催日に、ラッパなど楽器を鳴らしながら、騒がしく通り過ぎる男女の群れが、街道に引きもきらない有様だったそうです。
セ記事を書く
セコメントをする