周ピアノ
2013-07-25


1910年代の横浜で製造された「周ピアノ」が、中華街の横浜山手中華学校に寄贈された、という記事が、ちょっと前にありました。
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 1906年、上海にあった英国のシュエツ商会の支店が横浜にできて、輸入ピアノの販売や修理などを開始しました。
 支配人・周宝生の弟・周筱生は職人であり、明治の末に独立し、元町の山手トンネル近くに「周興華洋琴専製所」をオープンしたのが、日本のピアノ製造業ことはじめだったそうです。

 大正12年(1923年)の震災で店が焼かれて、周筱生も逃げる途中で亡くなったとか、いや、レンガのかまどが崩れて亡くなったのは周兄弟の叔父とその子供だったとか、ソースによって情報が異なり、正しいことはわかっていませんが、大震災によって店が一度頓挫したのは確かです。
 しかし、後に周ピアノは再興され、S.Chewの刻印がされたその製品は、かなりの評判を得ていたようです。


 芥川龍之介に「ピアノ」という掌編があります。
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 関東大震災の翌年、横浜山手の知人を訪ねて帰る際の話です。震災の廃墟に、月の光に照らされたピアノがあり、芥川が通りすぎたところ、突如、一音、ポンと鳴ったそうです。
 その藜の中の弓なりのピアノは、もしかして、S.Chewの刻印があった周ピアノだったかも知れません。

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