2011-04-12
気候が暖かくなって身仕度もうんと楽になりました。桜が散ると、初カツオの季節がやってきます。
カツオで現在最も好まれるのは秋の戻りカツオですが、江戸時代の人々は初カツオを珍重していました。
「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」という山口素堂の俳句は有名ですが、とにかく人々が早さを争い、解禁早々豆相の海でカツオが取れると、大変の高値で取り引きされます。
魚河岸の景気は何も初カツオだけでなく、夕河岸のアジ、イワシも元気良く売れましたが、やはり魚屋の一番際立ったのが初カツオだったそうです。
文化十年の「かまはぬ尽」に「高い物の親玉、初松魚、五両してもかまはぬ」と書いています。
三田村鳶魚によれば、さすがに五両はしなかったでしょうが、ニ、三両で売れるのは珍しくないようです。実際、1812年に歌舞伎役者・中村歌右衛門が三両で購入した記録があり、1823年に高級料理店「八百善」が一本四両で競り落とした話もあったようです。
「ハテ袋物商売や初松魚うる手合は、金持を相手にやアせぬ」ともありますから、むろん庶民が簡単に手は届きませんが、意外と本当の大金持ちが買うものではなく、いきを重んじる江戸っ子が気張って買うものなのかも知れません。
「初鰹袷を殺す毒魚」と、大阪町奉行を勤めた某が書きました。
袷を売り飛ばしても初鰹を買う、という気前は、大阪の人からすると明日の暮らしをどうするか、理解し難いうつけ者に見えますが、明日には明日の風が吹く、そう思う江戸っ子の本来の姿なのかも知れません。
江戸では丈夫な体でふんどし一本で日々の糧を稼ぎます。
粋だと言われるのが理想、枯れていることが条件、つまり物事に対して執着しないのがよいことになっていました。
セ記事を書く
セコメントをする