2010-09-30
高浜虚子は、明治から昭和までの俳人、小説家。ホトトギスを主宰し、俳壇に君臨する存在でした。
「いい芸術品がのべつに出来るものではありますまい。いいものはたまたま出来るのである、つまり天から授かるものである、と私はそう思っておる。」
文章本天成、妙手偶得之。そういうことなのですかね。
「俳句を翻訳などすることは無益なことであって、その面白味を西洋人に知らしたいというならば、西洋人に日本語を解からし、日本に生活させ、日本人同様にするより外に方法はないと思う。」
文学と言うものはそもそも翻訳が難しいです。特に季など俳句のあまり独特な味わいを考えると、あるいはそうかも知れません。
「遺したいという慾望が人間にはあります。それはそれでいい。けれども滅びるものは滅びるに任すという考え方が私には強いです。(中略)永田青嵐が一万年滅びない考えから供養塔を高野山に建てたという、それは結構なことだが、私ならそんなことはやらないであろうと思い、それだけの話です。」
人間というものは滅びてゆく、あとかたもなくなるが、それでいいんだとも、書かれていました。虚子は、そのような死生観を持っていたのですね。
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