2008-10-12
小学校の前期日程が終わり、子供が持って帰ってきた連絡票に、「読書タイムでは、ものすごい厚い本を黙々と読み、友達からすごいねと感心されています。」という、先生のお言葉が載っています。
厚い本とは、きっと、図書館のリユース・コーナーで拾ってきたジュール・ヴェルヌです。子供は夢中になり、「十五少年漂流記」、「八十日間世界一周」を読み終え、いま「海底二万里」も第2部の途中まで行っているようです。
Wikipediaによれば、ヴェルヌの日本への紹介は、1878年、川島忠之助が「八十日間世界一周」の前編を翻訳刊行したのが最初だそうです。また、これは日本における最初のフランス語原典からの翻訳書だとも書かれています。
「さらに1896年、森田思軒が英訳からの重訳であったが『二年間の休暇』を翻訳して「十五少年」という標題で雑誌『少年世界』に連載し、単行書として刊行した。」とあとに続きました。
英訳本からの重訳であれば、1884年に太平三次が「海底旅行」(「五大洲中海底旅行」と題し)、1885年に三木愛花と高須治助が「地底旅行」(「拍案驚奇 地底旅行」と題し)、1886年井上勤が「月界旅行」(「九十七時二十分間 月世界旅行」と題し)など、それぞれ先鞭をつけていたはずです。
まあ、森田思軒が「鉄世界」、「秘密使者」に続いて紹介した「十五少年」が流行り、多くの読者を獲得したのは確かだったようです。
その森田思軒の日本語版「十五少年」を、あの梁啓超が「十五小豪傑」のタイトルで中国語に訳し、1902年に自ら主催した「新民叢報」で連載していました。
フランス語(原文)→英語→日本語→中国語と、伝言ゲームのように訳されたわけですが、梁啓超は「訳後語」で、「この訳書をジュール・ヴェルヌに読ませても、本来の価値を減じたとは思わないだろう」と書き、いささか無謀ではないかとこっちが思うほどの自信を見せていました。
フランス語(原文)→英語→日本語→中国語という翻訳ルートは、その時代では普通だったようです。
日本でもよく知られている魯迅も、二十代前半、周樹人という本名で、「月界旅行」と「地底旅行」を日本語版から中国語に訳したそうです。
それもかなり自由な意訳だったようです。
文体は文言で、伝統的な「章回小説」のスタイルを採用し、終わりのところで「欲知後事、請聴下回分解」というように結ぶだけでなく、毎回にそれらしい章題を付けています。
例えば、「月界旅行」全14回の第一回は「悲太平會員懷舊 破寥寂社長貽書」、第二回は「搜新地奇想驚天 登演壇雄譚震俗」、第三回は「巴比堪列炬遊諸市觀象臺寄簡論天文」......という具合です。
凄いことに、その第一回の本文中にも、
「精衛銜微木、將以填滄海、刑天舞干戚、猛志固常在」という陶淵明の詩が出てきます。
戦争で五体満足ならぬ重傷を負いながらも雄心いまだ死せざる大砲クラブの会員を讃えるため、魯迅が勝手に挿入したわけです。
井上勤の日本語訳版にはなく、英語訳版にはなく、ヴェルヌの原作にもあるわけがないです。
ジュール・ヴェルヌに読ませて、本来の価値が減ったと思うかどうか、誰にもわからないでしょう。
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