【素人写真】「木」
2007-02-25


「エッダ」によれば、オーディンはトリネコの流木から最初の人間を造ったようで、以来、人間は木であり、木は人間です。

 ラテン語で、木は ARBOSです。後に ARBORとなりましたが、この -OSという語尾は生物を示す語尾だそうです。ARBOSは女性名詞、果実を産むからでしょう。
 樹木の豊饒が人間の豊饒と暗喩的に相応するからこそ、あの「樹下美人」のイコンが生まれます。

 その一方で、木はまた、神の象徴でもあります。
 小アジア地方から帝政期ローマに侵入した、キュベレーをはじめとする植物女神、地母神信仰は、豊饒・多産の意味も含めた実例だと言えましょう。
 さらに、大プリニウスの「自然詩」によれば、ドルイドは「オークの枝や葉なしに、生け贄を捧げたり宗教上の儀式をとりおこなったりすることはけっしてしない。」

 そもそも、キリストはユダヤ聖典が「生命の木」とみなした「エッサイの株」から生い出でたものと見なされ、木の十字架(the Tree)に架けられて死にます。
 東洋の釈迦もまた、マーヤー夫人がルンピニー園で無憂樹(または沙羅双樹)を抱いたとき、その右脇腹から生まれたとされ、やがて菩提樹の下で涅槃に入ります。
 神様もこうして、木から生まれ木に帰する、のであります。


禺画像]
1993年5月 熱海



禺画像]
1994年5月 湯河原



禺画像]
1995年5月 弘前



禺画像]
1995年5月 弘前



禺画像]
2003年11月 小田原



禺画像]
2005年10月 富士山

[写真]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット